直会もまつりの中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事、皆直会ぞ。日の仕事、皆まつりぞ。息すること、この世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。
尾張の御用は始めの御用ぞ。祭りの御用ぞ。尾張の十の山に祭りくれよ。世に告げてくれよ。
『一二三㊀』 十二巻 夜明けの巻 第八帖(三二八)
さて、この尾張の十の山というのはどこをさすのでしょうか。
まず、尾張地方で「富士」といえば、その名のごとく尾張富士を浮かべますから、尾張富士大宮浅間神社は含まれるのではないでしょうか。
また、岡本天明伝には以下の記載があります。
名古屋の神社といえば、一般には熱田神宮や、尾張一ノ宮の真田神社を思い浮かべる。だが、大本での尾張の国魂・産土社は、春日井・志味の東谷山の尾張戸神社を指す。東谷山は標高が三〇〇メートルほどで、古くは名古屋平野がまだ海だった古墳時代の中心地で、山頂には熱田神宮の奥宮といわれる尾張戸神社が鎮座して磐座もある。
(中略)
戦後、名古屋の浅井作左衛門や岐阜の林松治 等により、数度にわたり「オワリノ十ノヤマ」の祀りがされた。十の山の中心は東谷山や、尾張三山と呼ばれる尾張富士・白山・本宮山等があてられ、周辺の十カ所の山に神事がなされた。 『岡本天明伝』黒川柚月
これらに連なる尾張北部の山としては春日井三山として知られる弥勒山・大谷山・道樹山がありますが、弥勒山はその名前からしても含めないわけにはいかないのではないでしょうか。
尾張の御用、御苦労であったぞ。奥の奥のこと、仕組どおりになりている。臣民、心配 するでないぞ。一の宮は、桜咲く所 へ造れよ。分かりたか。天之日津久神奉賛会でよいぞ。意富加牟豆美神と申しても祭りくれよ。祭り、国民服(戦時中に着用した成人男子の洋服)の左の胸に八垂れの紙垂二本つけて、絹の紙垂つけて当分奉仕してよいぞ。道場は、一の宮と一つ 所でよいぞ。 『一二三㊀ 』著・岡本天明/編・奥山一斎