齋庭稲穗の神勅

第八帖 (八五七)
四つ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると申してあろ。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ。
『一二三 ㊃』 五十黙示録 第二巻 碧玉の巻

私にとって神示を実践する上での課題の一つは食です。皆さんはどうですか?
私は『四つ足を食ってはならん。』という神様からのお言葉がずっと昔から気になっているものの、なかなか肉食をやめることができません。そればかりか、たまに家族で焼肉に行くのが楽しみの一つであったりもします。
この数年は在宅勤務で時間もあるので、自分で料理ができるようになってもっとこだわりのある食生活ができるよう身魂磨きに励みたいものです。

さて、このほど、『日本書紀』の中で、天孫降臨に際して、天照大御神様が御孫の瓊瓊杵尊らに下した御神勅(三大神勅)の中に、「齋庭(ゆにわ) の稲穗の神勅」というものがあることを知りました。

『日本書紀』神代下  第九段一書(二)
是時、天照大神、手持寶鏡、授天忍穗耳尊而祝之曰「吾兒、視此寶鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以爲齋鏡。」復勅天兒屋命・太玉命「惟爾二神、亦同侍殿內、善爲防護。」又勅曰「以吾高天原所御齋庭之穗、亦當御於吾兒。

【原文】
是時、天照大神、手持寶鏡、授天忍穗耳尊而祝之曰「吾兒、視此寶鏡、當猶視吾。可與同床共殿、以爲齋鏡。」復勅天兒屋命・太玉命「惟爾二神、亦同侍殿內、善爲防護。」又勅曰「以吾高天原所御齋庭之穗、亦當御於吾兒。

【大意】
この時、天照大神は手に宝鏡(たからのかがみ) を持ち、天忍穂耳尊に授けて、「吾が御子よ、宝鏡を視ること、まさに(なお)我を視るが如くすべし。與ともに床を同じくし御殿を共にし、以ちて祭祀の鏡とされよ。」と祝福した。
また、天児屋命・太玉命に、「(これ) (いまし) 二柱の神、(また) (とも) に殿の内に(さぶら) いて、善く防ぎ護るをいたせ」と勅す。
また、「() 高天原(たかまのはら) にきこしめす斎庭(ゆには) (いなほ) (もっ) て、また() (みこ) にまかせまつるべし。(齋庭稲穗の神勅)」とある。
『日本書紀』神代下 第九段一書(二)

謹んで天照大御神様の御恩寵を拝し奉るとともに、畏くも高天原で召されている神聖な田の稲穂を授けられ、遥かな神代の時代から現代に至るまで、瑞々しい稲穂が末永く実る美しい国、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに) を受け継いでこられたのは、まさに御歴代の天皇の御聖徳よるものと仰ぎ奉ります。

「斎庭の稲穂」今野可啓 神宮農業館蔵

このような歴史を知るにつけても、まことに神示のお言葉は尊く、私ども臣民は天孫降臨の神代より続く天照大御神様の御神勅を戴き、改めてお米のありがたさを感じる次第であります。

友を求む。

元の元の元の神は何も彼も終わっているのであるぞ。終わりなく始めなく弥栄いやさかえているのぞ。
友つくれよ、友つくることは己つくることぞ。広めることぞ。
己を友の心の中に入れることぞ。
皆我われの目的たてに来ているぞ。それでは思惑たたんぞ。
御光が愛ぞ。真ぞ。愛はまぞ。真は言ぞ。これを真というぞ。まことは生きているぞ。
三千世界の生命いのちぞ。
和つくれ。和はむすびぞ。何もかも生まれるぞ。息するぞ。
自分で勝手にしておいて親神を怨うらんでいるぞ。
この巻から人民の道しるべであるぞ。
近いことから知らすぞ。
この神示ふで出たら、すぐ血としておいて下されよ。
そなたの為ためであるぞ。
そなたの為ためは人の為ため、世の為ため、三千世界の為ためであるぞ。
この巻 黄金の巻。
心の眼ひらけよ。

『一二三③』黄金の巻

尾張の御用

日月神示の説く弥勒の世が近づきつつあることを益々多くの人が予見し、期待しています。新しい時代の価値観を受け入れる人の数が日に日に増しているのを感じています。世界中で新しい時代の幕開けを求める声が高まっています。
神示の導きによって、新しい社会の実践に挑戦しようとされる方も決して少なくないはずです。天之日津久神奉賛会は、弥勒の世を拓くために、尾張の御用に奉祀させていただくことを目的に、日月神示の実践を行います。同じ目的の方、是非協力してゆきましょう。さしずめ私は尾張の山で重要と思われるポイントを巡礼しています。もし一緒にお祀りをやってくださる方いらしたら協力してやりませんか。